亡くなってから「もっとこの人のあれこれを見たかった」と後悔したくない

歌丸師匠死去のニュースを見たときもそうだし、2018年の上半期に亡くなった著名人の中では、大杉漣さん死去のニュースを見たときも感じたことは、「亡くなってしまったら、その人の生き様を生で感じることができない」ということ。歌丸師匠は、笑点は幼いときから見ていたけど、落語を聞きに行ったことはない。大杉漣さんはいろんな番組で見ていたけど特に注目して見ていたわけではない。そして徳島ヴォルティスの熱烈なサポーターということで好感を持っていた。ただし、亡くなったときに放送されていた「バイプレーヤーズ」は見ていなかった。亡くなってから、その人の業に触れるのもいいと思うんだけど、やっぱり生で経験できるのであれば生で経験したいよなって思う。そういう意味では、指揮者のヘルベルト・ブロムシュテットの演奏は何度となく聞きに行っている。ただブロムシュテット先生は90才を迎えてもなおかつ背筋はしゃんとしており、毎年この極東の地にN響を振りに来てくれてる。世界のオケを連れて来日してくれることも多いし、「いつでも聞きに行ける」って最近は思いがち。著名人じゃなくても同じことかもな。彼女を亡くす、という経験は自分はない。20代から30代の時にお付き合いしている人を亡くすという経験は確率的にもそれほど高い事象ではないと思うけど、ありうること。亡くなる、まで言わなくても、例えば「元カノと別れて初めて、やっぱりいいやつだったなあ」と感じることは避けたい。